てれてれ日記

子育て、日々のライフハック?的な内容です。

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」受験して上質の温室で子供を育てることについて(2)

#ものっすごい雑にかきあげたので、また手直しします(汗)

タイトル長い・・ブックレビューですが、受験にまつわるモヤモヤ(2)です。

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耳読だけでなんだか涙が出る箇所がたくさんあった。私のなんの琴線に触れたのだろう。

前回「底辺なんて見なくて良い」という考えにモヤモヤした後に読み、社会の縮図のような元・底辺校のトラブルにまっすぐ対峙していく息子とその母になにか感じるものがありました。その後、私の内省はまだ二転三転続きます。

 

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ブレイディみかこさん。

もともと音楽好きで渡英したが、ライターや翻訳をしながら保育士までやっておられるという方。

前に日経のコラムを書いていた音楽ライターの人が同じ名前だったような気がするのだが、Wikipediaで見つけられず、記憶違いかもしれない。

彼女と白人であるトラック運転手の夫との間に生まれた子供が通う、元・底辺校であるイギリス・ブライトンの中学校の人間模様について書いた本です。

 

このブレイディみかこさん、一人息子が小学校の間はたまたま、カトリック系のとてもお行儀の良い公立小学校に入れていた。

息子さんは真面目で、生徒会長をしていたそうだ。

 

中学にあがるタイミングとなり、地区の公立中学校を見学に行く。

優秀な学校は人種の多様性があり、進学実績が立派。しかし空気が「死んでいる」・・・先生は前方に座る熱心な生徒だけに向かって話し、後方には全く聞く気がない子どもたちがダベっていた。

一方、 生徒の9割が白人、 「ホワイト・トラッシュ(白いクズ)が行く」などと言われる元・底辺中学校(今はまんなかへん)は・・

「音楽が盛んで、子どもたちがイキイキしている」「アップタウン・ファンクの演奏がうまかった」「セックス・ピストルズの写真が飾ってあるなんて、イイ!」

と母である著者は見学を楽しむ。、結果、母に影響されたのか、友人の1人がここに通うからか、息子はこちらの学校を選ぶ。

 

公立中学校に進み、初めての地区プール大会。

プールを挟んでこちら側はぎゅうぎゅう詰めの生徒と、その親たち。

一方、むこう側はガラ空きで優雅に座る生徒と、その親たち。

手前が公立、向こう側が「ポッシュ(金持ち)校」、私立である。

レースも私立の子たちは選手用の水着を着て美しいフォルムで泳ぎ、圧倒的な強さである。

一方、公立で強いのは成績上位の1~2校。あとは、海水浴に行くようなぶかぶかした水着を履き、フォームもめちゃくちゃ。

つまり、習い事に行けるかどうか、親の経済状況ではっきりと実力にも差が出ているのだ。

そんななか、とびきりボロい水着の男の子がたった一人、圧倒的な速さでメダルを獲得する。

その子は勝利のポーズを「こちら側」の観客席に向けて見せ、保護者たちは大喝采

 

学校には

・東欧出身で親は自営で成功、BMWを乗り回す白人のダニエル。黒人の子にジャングルでバナナでも食べてろという恐ろしく古い差別発言をし、最終的にイジメられる

・地区でもやばいと言われる公立高層団地に住み、一番上の兄はドラッグをやりすぎて死にかけ、真ん中の兄はいつも食堂で万引をし、本人も万引を重ねいつも空腹、制服のひじに穴があいているティム

みたいなのが混在し、労働者階級が低辺を見下したり、イギリス人貧困層が東欧の子をバカにしたり、など裕福な学校とは違うハードな多様性である。

 

日々起こるトラブルは

「万引をした貧困家庭の子を級友たちが説教していたが、そのうち『貧困団地のクズが』とかいいながらボコボコに殴り始めた」

とか、

「大きな家に住む金持ちだが被差別地域に住む子がとても貧しいボロ家住まいの子に『ボロい借家の子』とバカにした。借家住まいの子は『あの地区の住民のくせに』と言い返し

殴り合いの喧嘩になる」

とか。

 

「多様性っていいことなんじゃなかったの?小学校の時は外国人の親がいる子もたくさんいたのに、こんな面倒なことにはならなかった」とため息をつく息子に

母は「カトリック学校の子は国や民族は違っても、家庭環境は似てたからだよ。フリー・ミール(配給券)なんて使ってる子いなかったでしょ。

違う多様性がある」

「多様性ってやつはうんざりするほど大変だし、喧嘩や衝突が絶えないし、めんどくさいけど、無知をへらすからいいことなんだと母ちゃんは思う」

「分断とは、一人ひとりが沢山持つ属性のそのどれか一つを他者の身にまとわせ、自分のほうが上にいるのだと思えるアイデンティティを選んで身にまとう時に起こるものなのかもしれない」

と応じる。この母が、本当に視点が深く、貧困家庭も含めた人間関係に自然に分け入っている。彼女自身の子供時代も決して裕福ではなかったとも。

 

そして、カトリック小学校で真面目に育った息子。

日々起こる様々な摩擦やトラブルを曇りなき眼でみつめ、対峙していく。逃げない。

差別や悪意、価値観がひりひりするような喧嘩、投げかけられるアジア人への侮蔑的な言葉など様々な目に遭いながらも

自分なりの考えや采配で乗り切っていく。その度に深い洞察を母親に投げる。それがなんだか涙が出るほど感動した。

「僕は人間は人をいじめるのが好きなんじゃないと思う・・・罰するのが好きなんだ」

とか、

(不用制服のリサイクルボランティアをする母に)

「ティムに制服ゆずりたいんだけど、さりげなく」

とか。

もう、ティーンのプライドと友情を尊重しながら、友達を助け、喧嘩をいさめていくのだ。

 

あと印象に残ったこと。

 ・現在の小さな政府になってから、貧困家庭の子供は本当に食べるものがない。教師たちはポケットマネーで彼らに食べさせている。教育よりも、まず生きることが優先されている。「こんなひどい状況はサッチャーの時もなかった」という先生の話

 ・福岡に帰った時にただの酔っ払いのおじさんに

YOUは何しに日本へ?と言われ「英語しかわからないなら外国に帰れ」と言われるシーン。

 ・グレタちゃんが学校を休んで温暖化について訴えるスクールストライキをして、イギリスの中学生たちも「行きたい!」となる話。

公立の成績上位校は(変な話だが)学校から金曜日にデモに行って良い許可が出たそうだ。

しかし元・底辺校はそうはいかない。「デモの許可を与えても、結局喧嘩したりドラッグやったりトラブルになっては困る」と許可が降りない。

で、

知らなかったが、イギリスでは授業を休ませて親が旅行に行ったりした場合、罰金60ポンド(約8600円)を払わされるそうだ。

となると貧困家庭の学生たちは「学校が許可しないのにデモに行くと、親が罰金を払わせることになるから、行けない」

「俺たちもクールなデモに参加したかった」

となるのだ。

デモに参加するにも経済格差があるとは。

 

 ・白人ばかりの元・底辺校で、中国系のラーメン屋の息子が生徒会長になった時に著者が胸のすくような思いがし、なぜそう思うのか考えたこと。

その生徒会長と息子が歩いていた時に白人にからかわれ、生徒会長が回し蹴りをして問題になった時のこと。生徒会長は息子のために憤慨してくれたのだが、白人と日本人の間に生まれた息子は、自分がからかわれていると気づかなかった。つまりアジア人としての同胞意識が自分にはなかった。白人にもなければ日本人にもない。自分自身の帰属意識がないことに気づいて考え込んだこと。

 

Empathyとは、誰かの靴をはいてみること。

Sympathyの方は、かわいそうな立場の人や問題をかかえた人、自分と似たような意見をもっている人々に対して人間が抱く感情のことだから、

自分で努力をしなくても自然に出てくる。だが、エンパシーは違う。自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだとは思えない

立場の人々が何を考えているのだろうと想像する力のことだ。シンパシーは感情的状態、エンパシーは知的作業ともいえるかもしれない。

「他人の靴を履いてみる努力を人間にさせるもの。そのひとふんばりをさせる原動力。それこそが善意、いや善意に近いなにかなのかもしれない」 (著者)

 

すっごくつらつらと書いてしまいました。もう少し整理できたら、していきます。